猫と経営学
皆さんは猫派だろうか、犬派だろうか。
ちなみに私は完全なる猫派である。
犬派猫派論争は長く続いている。私は今回、経営学というご立派な根拠を味方につけて、猫の優位性について書こうと思う。
街中には猫のモチーフのグッズが溢れている。猫が描かれた服や靴下、帽子。猫型のポーチ、イヤリングにピアス、はたまた「人生はニャンとかなる」といった猫に人語を喋らせた書籍まで。
実際、犬のモチーフのグッズの数と比べてみる。多種多様大量の商品を扱う100円均一DAISOの商品に限って、犬グッズと猫グッズを数えてみた。
はい、一目瞭然である。猫のグッズは犬より多いのだ。
DAISOだけじゃ根拠不足かもしれない。ということで、犬猫のカレンダーの数でも比較してみよう。カレンダーといえば犬猫ディズニー。皆さんも自分の家や友達の家で犬か猫かディズニーかのカレンダーを必ず見た事があるはずだ。
写真・イラストは問わず、Amazonで出版されている犬カレンダー、猫カレンダーの数を比べてみる。
はい、こちらも一目瞭然。猫のカレンダーの方が犬のカレンダーより商品数が多いことがわかる。
さて、猫グッズが犬グッズより多い訳を考えてみる。
1つ目は、猫のグッズのほうが作りやすい、という点だ。
まずこちらの画像を見てほしい。
この8匹の猫ちゃんは、みんな輪郭、目、鼻、口、ヒゲは全て同じである。色と柄が違うだけで茶トラ、黒猫、三毛猫、と違う種類の猫ちゃんに見える。このようにひとつ型となるものを作れば、あとは色違い・柄違いでたくさんの種類の猫ちゃんを作ることができるのだ。
次にシルエットを見てみよう。
街中で100人にこの画像を見せて「これはなんでしょう」と言えば確実に100人が「猫ちゃん」と答えるだろう。
つまりこのシルエットのままでグッズを作ることが可能である。実際、シルエットのウォールシールがDAISOでは売られている。(私の部屋にも貼ってある。)
以上のことから、猫のグッズは低コストで作ることができる、ということが分かる。つまり、供給が楽なのである。
次に2つ目、それは猫のグッズの方が売れることである。
これは、犬好きと猫好きの犬猫それぞれに対する捉え方の違いが関係している。
例えば、柴犬を飼っている人がトイプードルのグッズを購入するだろうか。
どちらも「犬」という括りではあるが、あまりに見た目が違いすぎている。
しかし、猫だったらどうだろう。先に挙げた猫8匹のイラストのようにどんな猫ちゃんであれ、姿形はかなり似ている。
「犬種」という言葉はよく用いられるが、「猫種」という言葉は全く一般的ではない。猫は「種類」をあまり重視しないのである。
犬好きは「個」の犬が好きである場合が多い。それに対して猫好きは猫ちゃん「全体」が好きな場合が多いのである。実際猫派である私も、もちろん1番はうちで飼っているベンガルのてんくんが好きだけれど、持っているグッズは黒猫だったり、メインクーンだったりするし、野良猫だろうと血統書付きの猫ちゃんだろうとみんな可愛いと思っている。
根拠として、最初にグッズ数の比較をしたAmazonにあるカレンダーを、それぞれ種類別に見てみよう。
犬のカレンダーは猫に比べて、種類別で商品化されているものがかなり多いことがわかる。やはり柴犬がかなりの人気だが、レトリバー、パグ、トイプードルなども20以上商品が売られている。
比べて、猫のカレンダーは精々マンチカンが20商品あるだけで、ペルシャやメインクーン、ベンガルなどペットショップで人気な猫ちゃんたちのカレンダーは売られてすらいなかった。
このことからもやはり、犬好きと猫好きの犬猫に対する捉え方の違いがあることがわかる。これが犬のグッズより猫のグッズの方が売れている理由である。
犬グッズより猫グッズのほうが需要が大きいと言えるだろう。
以上2つの理由から、
〝猫は可愛い〟
ということが分かってもらえたと思う。
これで終われたらいいのだけれどそういう訳にもいかないので、きちんとまとめよう。
1つ目が、猫モチーフのグッズは低コストで作ることができる、という供給からの面。
2つ目が、猫モチーフのグッズは犬のそれよりもよく売れる、という需要からの面。
共通する理由としては猫の姿かたちは種類が違っても大きく変わることがないことにある。犬は体の大きさや顔立ちから何まで種類が違うと全く別個の生き物のように違ってくる。これがグッズの数に響いてきていると思う。
以上、これは私が1回生の時にしたプレゼンである。スライドが無い程度で、流れも殆どこのような感じで進めた。学生からの反応はイマイチだったけど、先生からの反応はかなり良かった。この授業は5回程度の欠席で不可(単位が取れない)になる授業だったけれど、私は5回欠席して60分遅刻を2回、10分遅刻を1回した。終わったな、って思ってたけどいざ成績を見てみれば、なんと1番評価の高い「秀」がついていた。意味が分からない。先生に大感謝である。「大学」という場所の自由さを感じた。