「続編」は奇跡のようなもの
拝啓、この世の森羅万象それぞれのオタクの皆様。
いつまでもその「公式の供給」が続くとお思いですか。
「公式の供給」、それはいつか終わりが来るものである。
とは言え私は週刊少年ジャンプを読み、ONEPIECEを特に好み、好きな映画はパイレーツオブカリビアンなりスターウォーズなりハリーポッターなり、王道の中の王道を突き走るオタクである。正直な話、「供給のストップ」は縁遠い話だった。
でも成長するにつれ、色んなオタクの友達ができた。マイナーcpを推し続ける腐女子、表に立たなくなった舞台俳優のファン、途中で作者が急死し、未完結の漫画の虜になってしまったオタク。
そういう友人のどうしようもない苦しみに触れて、「供給のストップ」がとても身近に感じられるようになった。
私にも経験はある。べるぜバブの打ち切り、妖アパの作者香月日輪さんの早すぎる死、色々な事件の末の成宮寛貴くんの引退。心にぽっかり穴が空いたように辛かった日々がある。
この間、ハリポタの次作のような立ち位置である、ファンタスティックビーストを映画館で観てきた。ハリポタをもう一度復習して、気合を入れて準備万端で。
映画泥棒がわちゃわちゃして、見慣れたワーナーブラザーズのロゴモーションのあと、少し内容が進んでから画面が暗くなり、ちゃんちゃーんちゃらんちゃーんちゃちゃーちゃん、とハリポタのあの音楽がかかった。そして奥から現れる「ファンタスティックビースト」の文字。それだけでもう十分だった。
またニュートが活躍してくれる。ハリポタの未回収の伏線がついに回収される。
目頭が熱くなる暇なんてなく涙がぶわぁっと溢れ出してきた。「続きが観られる」ということにとてもとてもとても、感動した。本当にオタクというのは気持ち悪い。もし私がテキトーに観に行った映画で隣の人がタイトル見て泣いてたらドン引きする。
好きなコンテンツがいつまでも続く、というのは保証できないものである。それがどんな名作であれ、有名であれ、多くのファンがいたとしても。
「供給」があること、それは当たり前ではない。自分の好きなものが続く、ただそれだけのことでもありとあらゆる奇跡の上で成り立っている。今日もあなたの好きな俳優は事故に会わず、好きなアイドルは事件に巻き込まれず、好きな漫画の作者は病気にならなかった。だから続いていくことができている。
この奇跡を当たり前に受け入れることができる今を大切に。