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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

名作を読む意味

―――世界は全てひとつの舞台、人は皆役者―――

Shakespeare

 

こういう感じで始まる小説やブログ記事よくあるよね。これはシェイクスピアの「お気に召すまま」の中のジェイクイズという変な男のセリフです。

こういうような名作の1文がさらりと出てくると格好良い。というか、こういうのを書いてる小説家やブロガーが必死に「名作 文章」とかって検索してたら本当に悲しい。

 

名作を読む意味は、そこにあると私は思う。むしろそれぐらいしか思いつかない。

私は基本的に「意味のある読書」「意味を求める読書」が大嫌いである。そんなもん求めて本なんか読むな!って思っている。

それでもしょっちゅう、本を読む意味を尋ねられる。私もそれで一生懸命考えた。そこで1つ思い付いた。そう、名作を引用する力、である。

 

もうね、ああいう名作の一文はことわざぐらいの立ち位置になってきていると思う。いいタイミングですっとそんな引用をされると「あらこの子」と一目置かれること間違いなし。(知らんけど)

 

名作というのは面白くて何十年何百年と多くの人に愛されてきた作品である。つまり、マジョリティに受け入れられる意見なのだ。

だから太宰治人間失格を読んでサブカルぶってる人間はダメだ。あれはマジョリティだ。サブカルを舐めるな。

 

兎にも角にも、名作には現代の私たち社会にも呼応する文章が多くある。

例えば、哲学者カントの「永遠平和のために」にこんな一文がある。

「人々は限られた土地の中で、互いに我慢し合わなくてはならない。」

なんかもうめちゃめちゃ悲しい顔になっちゃうんだけど、これってかなり現実だな〜って思う。色んな場面でこの文章の力は発揮される。現代の社会にもごく普通に通用する言葉だと思う。

 

坂口安吾堕落論なんかも使える場面があるかもしれない。「生きよ、堕ちよ」とか。「人間だから堕ちるのであり、生きてるから堕ちるだけだ。だが永遠に堕ちぬくことはできないだろう」とか。厨二病の人が嬉しそうにブログの冒頭に書いてる様子が目に浮かぶ。

 

でもまあやっぱり引用に向いてる文章といえば、私も冒頭に書いたシェイクスピアじゃないだろうか。あれくらい時代が前になっても、今通用するというのは人間の本質に触れた文章だからだ。何より数があるし、戯曲だからセリフとして完璧で覚えやすい。今試しに「シェイクスピア」とだけ検索をかけたら、出てくる出てくる。名言の嵐である。みんなも困ったらシェイクスピアで検索かけるんだぞ。

あれ? ということはシェイクスピア作品を読まなくても名言集だけ見ていれば良くなってしまった。所詮本を読む意味などないのだろう。