女子高生ブランドを失って
女子高生には、ブランドとしての価値があると信じていた。今しかない若さ、今しかない高校時代。義務教育ではないけれど自主的ではなくて、義務教育の延長線上にある。
世界で1番キラキラしてるのが女子高生だと思っていた。
私は陰キャだし、目立つ方でもないし、顔面がかわいいわけでもないけれど、精一杯「女子高生」を楽しめたと確信している。
女子高生時代の私の行動はいつも「大人になってしまったら出来ないこと」が根幹にあった。
例えば、パンダ柄のマフラーをつけてみるだとか、シリコンゴム製のでかいワニをカバンにぶらさげてみたりだとか、6人ぐらいで食べ放題に行って喰らい尽くすだとか、放課後教室に残ってお喋りをするだとか、食堂の日替わりランチのために我先にと廊下を走ってみるだとか。
勿論制服を着ることも「今しか出来ないこと」だった。もっと言えば、高校をサボって映画を三本見る、なんてことも高校生にしかできないことだった。高校をサボる権利は高校生にしか与えられていない。
今日は今日しかないし、今は今しかない。明日がきたら今日はもうなくなってしまうし、夜が来て朝が来る度私はどんどん子どもから遠ざかり、どんどん大人へ近づいていく。
大人への嫌悪感が強かったのだと思う。私の周りに存在していた大人たちはみんな社会の歯車になっていて、型どおりに働いてるようにしか見えなかった。私も大人になったら、ああいうふうになるしかないんだと思っていた。自由が効くのは今だけだと盲目的に信じ込んでいた。
卒業が近づくごとに増す虚無感。女子高生ブランドを失って私はどうなる?大人になったら私も社会のために働くのか?ふとした時によく考えていた。
大学生になりたくないわけじゃないけど、私は大人になりたくなかった。
でも、インターネットの向こうではいい歳した大人が馬鹿やってたり、全然社会のために〜なんて働いてなくて、自由に生きてる大人がたくさんいた。 ARuFaさんは20半ばになるのに電子の海に自分のケツをさらけ出し、夜中に更新される2ちゃんねるには親のスネかじっていきてるニートたち、Twitterにはプロ奢ラレヤーなるタダ飯喰らい。大人だってみんなそれぞれ色んな性格で色んな仕事で色んな生き方がある。
かなり安心した。私も、大人になっても好きなことを我慢せずに私らしく生きていっていいんだと思えた。
現に今私は、「今」を楽しめている。今は今で、大学生にしか出来ないこともあることに気付いた。そういうわけで只今私の髪は金色である。
そしてなにより、女子高生だったころをきちんと「過去」として、すごく楽しかった思い出になっている。
あの頃の私も楽しかった。あの頃にしか出来ない楽しみをたくさん経験できた。
でもそれで終わるわけじゃない。死なない限り私の人生は続くし、やっぱり常に「今」は「今」にしかない。じゃあ女子高生でキラキラを終わらせてはいけない。
大学生としての今を精一杯。卒業してから、「あの頃はあの頃で楽しかったな」って思えるように今を作っていかなきゃならない。