受験期の図書室
自称進学校の高校三年生ほどみじめでかわいそうなものはない。「受験は団体戦!」「国公立大学合格!」……死ぬほど聞いた。聞き飽きた言葉である。
結論から言うと、私は盛大に受験戦争に敗退を喫することになった。かろうじてひとつ引っかかったが滑り止めである。浪人する金も気力もないので通っている。
受験期を思い出すと今でも、動悸がするし重くて嫌な気分になる。大して勉強をしたとも思えないけど、あの時の精神的なストレスは私に強く強くのしかかっている。
勿論そんな悪い思い出だけじゃない。
私は高3の時、めちゃめちゃ図書室に篭っていた。それはもう毎日毎日。夏休みも冬休みも自由登校期間も一日中。
めちゃめちゃ勉強しとるやん、なんてことにはならないのが私である。
私はというと図書室に置いてある限りの伊坂幸太郎を読みつくし、坂口安吾なり荷風なりあそこらへんのを読み漁り、数十冊ほどしかなかったが図書室に置かれてる海外小説を読破したりなどしていた。
まあそりゃ受験も落ちますわなという話である。(全く勉強していなかったという訳では無い!人並みには勉強した!)
学校の図書室の司書さんは私が3年になる年に代わった。その代わられた方がとても素晴らしくて、それまでただ綺麗な部屋に本が並べられているだけの自習室みたいな扱いの図書室だったが、その新しい司書さんによって随分「図書室」らしくなった。
司書さん手作りのポップが並び、話題の本はどんどん仕入れられ、目立つところに置かれた。
司書さんに、雑誌も仕入れたいけどイマドキの高校生はどんなん読むの、と聞かれたこともある。友人は(ヤバい時の)anan、私は筋トレボディビル雑誌をオススメした。私たちの意見を素直に聞きいれた司書さんはすぐにそれらを仕入れてくれた。
図書室はどれだけ暑い夏もクーラーが効いていて涼しかった。でもド田舎の寒い冬をストーブは温めることができなかった。
本の香りが漂っていて、東向きの大きな窓からは畑と山と線路が見えた。
元々のつくりは古いのに、むりやり綺麗にして本棚を設置してあるので、本棚に沿って奥へ行くとボロボロの壁紙と剥がれた床があった。
奥の方の本棚は司書さんも整理しきれていなくて、なぜか近代の日本文学のコーナーに海外小説があったり、坊っちゃんの横にギリシャ神話の本があったりしていた。そういうのを見つけては正しいところに直すのが好きだった。
受験期のことを思い出す時いつも、暗くてつらい思い出と、図書室でまったりしてた記憶が入り乱れてよみがえる。
まだ大学受験の失敗を心の中で引きずってる。ニュースとかで受験の話を見ると心臓が縮こまる。でも、もうちょっと時間が経てば、全部ひっくるめて単なる「受験生の頃の思い出」になるんじゃないかなって思っている。
大抵の思い出も時間が経って薄れてしまえばなんとなく「良い感じ」に丸め込まれてしまうって世の中の相場は決まってる。