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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

12歳の憲法9条

9条改正、堅苦しいニュースなんかでよく耳にする言葉だ。

聞く度に思い出すことがある。それは7年前、私が小学校6年生の時に担任の社会科の先生がしてくれた授業のことである。

 

ある時先生は私たち児童に、憲法がほとんど全部印刷されたプリントを与えて、「この中で1番大切だとおもう条項をあげてきてください」と課題を出した。たくさんある条項の中で1番大事だなぁと思ったものをそれぞれ翌日か翌々日なんかに発表することになった。それまでの授業には特に関連はないように見られ、少し不思議だったが、あの小難しい授業を受けるよりみんなで発表するほうが楽でいいなぁ、と思った。

 

そして翌日か翌々日、私の強く印象に残った、あの発表の日。

なんとクラスのほぼ全員が9条をあげていた。理由はみんな「戦争は良くないから」「平和のためにあるべきだから」みたいな理由だった。あれほどたくさんある条項の中でクラスの9割以上の小学校6年生たちは9条が1番大事であると認定したのである。

多くの条項のある中で、ここまでみんなの意見は統一されるものなのだろうかと私はとても驚いた。

でも先生は、9条にみんなの意見が固まったのを特別驚いている様子はなかった。

きっとあの時いい話のひとつやふたつ、してくれたのかもしれないけれど私のツルツルの脳みそはそれを覚えていない。

 

それから数年経ってからニュースで9条改正の話をよく耳にするようになった。中学生になっていた頃だと思う。私はニュースを見て、小学校の時のその授業を思い出した。

 

先生は先見の明があったのだろうか。あの時に私たちにしてくれた授業にはどんな意義があったのだろうか。どんな意図があったのだろうか。

先生は、実に小学校の先生らしい優しさの持ち主だった。青い鳥文庫を自費でたくさん揃えた本棚を教室に作ってくれたり、しょうもないことをすぐ言うけど喋りやすくていい先生だった。集団行動に向いてない私もそこそこちゃんとクラスの一員になれていたのは、先生の助けがあってこそだったと思う。ずっと本を読み続ける私に、外で友達と遊ばないの、なんて小言の代わりに、たくさんの児童書を買ってきてくれた。

当時はまあまあ頭髪が失われていたが、3年ほど前に1度お会いした時にはすっかりさっぱり、頭部は綺麗な球体になって光り輝いていた。

 

ちなみにその発表の日。クラスで1人、9条をあげていない児童がいた。それが私だ。私が発表したのは13条、「個人の尊厳」である。私は小学六年生にして既に天邪鬼だった。

9条をあげなかったのは、戦争は良くないという意識が欠けていたからではなく、戦争がないことを当たり前だと思っていたからである。先人の失敗をわざわざ繰り返すほど大人も馬鹿じゃないだろうと考えていた。7年前の私のために一応弁明しておく。