神社とタバコ屋
日曜の午前九時、小学生のかわいらしい声で町内放送がかかる。妙に関西弁のイントネーションで「おみやのそうじをしますので、3年生いじょうの人はおみやにあつまってください。」
「おみや」というのは近所の神社のことだ。今やもう誰もあの神社を「おみや」とは呼んでいない。でもあの町内放送はいつまで経っても「おみや」である。ずっと昔からの台本がそのまま使われている。
小学生の時、その神社で遊んでいた。ブランコやシーソー、滑り台とか地球儀とかがあって、みんなで放課後よく集まった。家にランドセルをぽんと置きに帰ってそのまま神社に集合するのである。神社では鬼ごっこをしたりなんかしてギャーギャー喚き散らかしていた。
木が鬱蒼としていて、かなり暗いところだが今でもたまに小学生が遊んでいる。思えば、階段も急で手すりもなく、よくあんなところで駆けずり回っていたなぁと思う。
神社の裏も木々が生い茂り、急な下り坂になっている。大きな神社では全くなくて、とても小さいところだったが、走り回って遊んでいた。
その神社の斜め向かいに、おばあちゃんのやっているタバコ屋があった。昔ながらのお店で、表に出してはいないけどガムとか水飴とかも売っていた。小学生低学年の私たちは、なけなしのお小遣いでちまちまガムやチューイングキャンディを買って食べていた。水飴は少し値が張るので買えなかったが、たまに高学年の子や中学生の子が遊びに来てくれた時に私たちに買ってくれた。
ブランコや地球儀に乗ってそれらを食べてお喋りを楽しんでいた。そこでは初めて会った子とも仲良く喋れた。
この間、そのタバコ屋が閉店した。
おばあちゃんもお年を召していたし、ああいう昔ながらのタバコ屋は経営も厳しいだろう。おばあちゃんとそんなにたくさん喋った記憶はない。でも閉店したのを知ってとてもショックだった。
たまにふと思いたって、小中学校を卒業してからもその神社に行くことがあった。
立ち漕ぎを楽しんでいたブランコは、ペンキの塗り直しなんてされていなくて、私の記憶にある色がくすんだ状態だった。試しに立ち漕ぎをしようとしたら、鎖を吊るしてる上の棒が頭の上どころか顎の下にあった。
たまに子どもたちに絡まれて一緒に遊んだ時は、そのタバコ屋でお菓子を買ってあげたりした。名前も歳も知らなくても、仲良くお喋りを楽しんだ。
私の小学生時代の多くを過ごしたところだから、たくさんの思い入れがある。でも、あのころの友達とはすっかり縁遠くなってしまっている。今度会うことがあっても、あの時のように、一緒に遊んでいた頃のようには接せられないだろうと思う。