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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

自転車通学の同士たち

高校生の時、自転車で通学していた。片道30分程度かかるのだが、如何せん私は朝を得意としておらずいつも寝坊するので、毎朝ギリギリの時間に髪を振り乱し顔をひきつらせ猛スピードで自転車を漕いでいた。

 

いつも同じ時間に私の家の前を通る同校の男の子がいた。めちゃめちゃ背が大きくてとてもじゃないが高校生には見えない風貌で、真冬でも白シャツ1枚で登校している子だった。

私はその子を時間の目安にしており、「あの子が通ったのにまだ髪の毛直してない!」「まだご飯食べてるのにあの子行った!!」と毎朝ギャーギャー喚きながら準備をしていた。彼は私の友達の友達で、お互い名前は知っていたけれど結局在学中に喋ったのは1度か2度だった。

でも同じ大学に入学したので今では仲良しである(挨拶をする程度だけれど)。あとで聞いた話によれば、共通の友人を通して私が彼を時間の目安にしていたのを知ったらしく、それからわざわざ私の家の前を通るようにして登校してくれていたらしい。当時は友達どころか知り合いですらなかったというのに。本当に感謝でしかない。

 

私の学校は8時15分までに校門を通過しなければならなかった。7時55分に出ればギリギリで間に合う気がしていたので、いつもそのギリギリで家を飛び出していた。

その時間に家を出て高校へ向かう道中には、私と同じ考えを持つ同校の生徒達がみんな猛スピードで自転車を漕いでいた。

学年も違えば名前も知らない子もたくさんいたけれど、私たちは同士だった。顔は認識できなくて、自転車の監察番号や、自転車の後ろに鞄をくくりつけている紐の色、後ろについているカゴなどで判別していた。自転車の後ろにカゴがついてる子は2人いて、2人とも野球部で丸坊主だったのでどっちがどっちかは全然見分けられなかった。私より漕ぐのがちょっと速い方とちょっと遅い方としてなんとなく判別していた。

 

「この子とこの信号で会えたら間に合う!」とか「ここでこの子に越されたらまずい」とか私は毎朝そればかりで、そして多分だけど、向こうもそう思っていた。と思う。

 

1つの信号を渡って右に曲がると少し下り坂になる道があった。そこを通るのは同じ高校の生徒ばかりだった。歩道はガタガタで自転車では漕げたもんじゃなかったのでみんな1列になって白線の内側を走っていた。8時15分に間に合うためにはこの下り坂をできる限り飛ばすことが重要だった。1列なので1人でも遅い人がいると最悪で、後ろ全員がメイワクするのである。そのため信号が青色になるのを待つ段階でじりじりとせめぎ合う。私もそこそこ速い方だったのでできるだけ前の方に出て待っていた。

 

不思議なことに、私は何故か自転車を漕ぐのが普通に速かった。運動は全くしてこなかったしとても嫌いだったが朝寝坊するためには自転車を速く漕がなければならないので、速く漕げた。やはり人間は限界において成長するのであるなぁと思う。

 

しかし3年になって、ぱたりと自転車で通学するのを辞めた。普通にしんどかったからである。あと筋肉がつきすぎてめちゃめちゃ足が太くなったのが心に響いたからだ。最後の1年間は車で送ってもらったりバスで行ったりした。「8時15分に間に合うぞ」みたいな意思がころりとなくなってしまって遅刻ばかりしていた。遅刻ばかりだったのは自転車通学の時もか。

 

しかしあの自転車通学で得た、朝の登校時間だけの同士たちは確実に『仲間』だった。結局大半とは一言も喋ることなく卒業したしSNSもなんにも繋がっていない。きっと会うことはないだろうし、同士だった時の記憶は薄れていく一方だ。

でもうっすらと、高校の思い出のひとつとしてずっと覚えておきたいと思う。