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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

手書き文字

ボールペンの試し書きコーナーを見るのが好きだ。友達のノートの文字を見るのも好きだった。

手書きの文字というのは人それぞれ違っていて独特だ。丸文字だったり教科書のように丁寧だったり右払いがめちゃめちゃ長かったり、手描きの文字は癖が出る部分だと思う。

ただの綺麗な字が良いというわけではない。その人らしさの感じられる字が好きなのだ。

 

強面のデカい男がかわいらしい丸文字を書いていたりするとギャップにぎゃんとなるし、美女が書道的な達筆だとまたそれもぐっとくる。

かく言う私の文字は非常に乱雑でまるで暗号のようである。罫線など見えぬかのように文字が散らばっているし、言偏と糸偏の見分けがつかない。自分ですら読めない時がある。

 

手書き文字で思い出すのは、高校の時の英語科のおじいちゃん先生だ。リスニングの先生で、いつもクッソ寒い駄洒落ばかり言って教室を微妙な空気にさせて喜んでいた。

黒板に書く文字はそれほどだったけれど、ある時ノートを見せてもらった時、思わず「このノート使い終わったら私にください」と言ってしまった。

大学ノートの罫線の上下をいっぱいいっぱいに使って、英文とそれの日本語訳が1行ずつ丁寧に丁寧に書かれていた。アルファベットも4線があるかのように的確で、教科書的というとまた少し違う、ひとつのフォントとして完成されてるような字だった。私はそれまで先生をテキトーな人だと思っていたがそのノートはやはり教師なんだなあと思わせた。

あんまり使わなくて残ってしまうから、という理由から紫と橙のインクのボールペンで書かれていて、ノートが夕焼けみたいになっていた。

 

手書きの文字というのはその人の性格が出るものだと思う。丁寧な字を書く人は丁寧な人だと思うし、乱雑な字を書く人もまた然り。

 

ひとつ弁明をさせていただくと、私の字は人間として考えられないレベルに雑ではあるが、綺麗に書こうと思えばそこそこ綺麗には書けます。ほんとに。書道やってますので。自分でもなんであれほどノートの字が汚いのかわからない。あまりに罫線を無視するので一時期は真っ白のルーズリーフでノートをとっていた。そうすると案外真っ直ぐ文字を書けたのでやはり私はとんでもない天邪鬼なのだろうと思う。