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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

自分の葬式のこと

自分の葬式について、理想がある。

それはもう豪華絢爛なパーティーのようにしてほしいのである。

色とりどりの照明がくるくると会場中を照らし、音楽をかけて、みんなでもう踊り回ってほしい。それで私の火葬が終わると同時にデカい花火でも上げてほしい。十数発バンバンでかい音で打ち上げてほしい。

オシャレなバイキングで和洋中全制覇して酒飲んで、めちゃめちゃに楽しんでほしい。

喪服じゃなくてもいい。オシャレなスーツやドレスとか、ふざけて着ぐるみでも着てきたらどうか。

私は仏教徒だから、お坊さんを呼んで色々やってもらうだろうけど、お坊さんにだってドラムを叩いて軽やかに読経してほしい。鐘の代わりにシンバルを鳴らしてくれ。

『マナー講師』なんて奴は木魚叩く棒で殴ってしまえばいい。

私の葬式における『マナー』は私に決めさせろ!

 

 

そもそも葬式っていうのは、随分人が集まるもので、死んだ人の繋がりというだけで、たくさんの種類の人間が一堂に会するわけである。「私の」学生時代の友人と、「私の」仕事関係の人が出会う。「私」がいなかったらそこに繋がりは生まれない。そして葬式がなかったら出会うことも無い。駅のホームでたまたま出会ったとしても言葉を交わすことはないだろう。

私がお金持ちで有名人なら、誕生日パーティなんか開いて、そういう場を作れるかもしれないけれど、私はお金持ちじゃないし有名人でもないし、なんなら、もしお金も名声もあっても自分の誕生日パーティを開くような人間じゃない。

 

でも、葬式なら否が応でも人を集めることになる。

私の友人と私の友人が私の葬式で初めて出会って、私のことを話して盛り上がって、LINEでも交換して、また後日ご飯にでも行ったらいい。

そこに私がいなくても、つまり死んでいても、私の存在感が絶対的にあるのめっちゃよくない???

 

「葬式」にはネガティブなイメージがついてまわる。それもそうだ。人が死んでいるのだから。私だって少々悔やんではほしい。でも悲しまればかりするのはつらいもの。たまに思い出して笑ってほしい。

死に方にもよるよなぁー。自殺なんて以ての外、交通事故なんかだったら急な話であまりにも不幸だ。闘病の末、なんかだったらまずまずだけど、やっぱり老衰が1番かなー。でもおばあちゃんになりすぎたら、私の友人だって年寄りになってしまうわけだから、早めにぽっくり、が1番??

小さな虫でも助けて、徳積んで、綺麗な死に方ができますようにって神様に媚び売っとこ♡

まだ私18だけど!!!!!!