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カレン素数の日記

1000文字程度の文章をぼちぼち更新しています。暇つぶしの読み物にどうぞ

数学は役に立つ

「数学は人生の役に立たない」

最近巷でよく耳にする、目にする言葉である。

もちろん、これは間違いだ。

お前が数学ができないから、数学を人生の役に立てさせることができないだけである。

 

一体全体数学はなんの役に立っているのかというと、あまりに存在がでかすぎて言葉にするのはかなり難しい。

この世界は数学があるから回っていると言っても過言ではない。

常日頃私たちは数学の恩恵を受けて生活している。あまりに数学のインフレがすぎるから、その恩恵を受けるだけに留まって、私たち自身が数学を知ろうとしなくていい世の中なのだ。有難いね。

 

しかし残念ながら私は数学のできる人間ではない。脳のない文系人間の私は、数学のできる人間たちの作った世界に一時的に住まわせてもらっているだけなのだ。大変申し訳ないと思っている。

仮にも「カレン素数」などと名乗っているわけだが、私は根っからの文系人間だ。ただ一言断っておくが、数学が出来ないから、理科ができないから文系なのではなく、国語ができるから文系にいったタイプの人間だ。

カレン素数とはご存知、数学者カレンさんの編み出したカレン式のnになんやかんやと当てはめて出た数字が素数だった時の数である。

またカレン素数を語るときよく用いられるもので、メルセンヌ素数というものもある。詳しくは知らない。でも、人々が素数に魅せられ、研究してきたからそのような式が色々とあるのである。

素数はロマン、数学とはロマンなのだそうだ。

私の脳が小さいばかりに、そのロマンを理解できないことが悔やまれる。

それでも一応、私は数学を高校3年までしっかり学んでいた。元々は国立志望だったので、数2Bまでしっかりと。しかも3年の時間違って数2Bの記述の補講なんか取ってしまって、理系の男だらけの所に乗り込んで先生から集中攻撃を浴びたこともある。大なり小なりの記号の読み方がわからなくて手を曲げて表現した。ひたすら難しいと感じてばかりいたけれど、解けて楽しいと思うこともあった。なにより「数学」への憧れがあった。なんかめっちゃ賢そうだもん。物心ついたころ、大人になって結婚するなら数学者がいいと思っていたくらいだ。

 

数学のできる人は、大抵数学を生かす仕事をしている。上手い例を出すことができないのがつらいけれど、数学を生かす仕事というのはたくさんある。なにを動かすにも数学である。

私が数学嫌いを爆発させた時、家で「微分積分なんてなんの役に立つん!!!!」とわめき散らしたことがある。その時父が間抜け面でこう言った。「今仕事で微分積分使ってるよ。俺にはわかんないけど。」

嘘だろ?って思った。めっちゃ身近じゃん。三親等以内じゃん。忌引適用レベルじゃん。

微分積分、役に立つんだな〜って感心してしまった。

 

つまりそういうわけで、数学とは案外身近なものなのだ。数学のできない人間は「数学なんて〜」などと抜かす前に数学をできないことを悔やんで、世の数学を使ってる人達に敬意を示して、精一杯他のことで社会の役に立とうとしろ。

 

ここまで数学贔屓な文章を書いたが、もちろん国語も理科も社会もあってこそ。そもそも、できるに越したことはないのだ。全部が全部直結して役に立つわけじゃないけど、勉強は人生を豊かにすると思う。ネットで使い古されたネタだが、「国破れてサンガリア」。笑えたらあなたには漢詩の教養があるということだ。

それに、学校での勉強は「入口」に過ぎない。そこで学ばなければ、もしその勉強の先に気に入る分野があっても、知らずに人生を終えることになる。そんな勿体ないことはない。